双海町のまちづくりの元祖仕掛け人、若松進一さんにお会いしてきました!
家業の漁業を継ぎながら、青年団活動に打ち込んできた若松さん。
外部から来られた方の「夕日がきれい」という言葉からヒントを得て、「夕日」のまちづくりをはじめられました。
JR下灘駅での「夕焼けコンサート」開催や第三セクターによる「双海シーサイド公園」(道の駅)の設置など、様々な取り組みを、「他のまちを見習わない」という奇抜なやり方で、成し遂げてきました。
時には壁にもぶつかりながらも、その熱意は、住民を動かし、企業を動かし、まちをも動かし始めました。
現在、若松さんは、自費で整備した施設「人間牧場」(平成18年設置)の運営を中心に、「ひとづくり」に力を入れています。
年4回の「年輪塾」や月1回の「ふるさと体験塾」など、この場で参加者が「自身に向き合い、自分にできる地域参加の方法を見つけてもらう」ことを目指しています。
そんな若松さんが、今回、僕ら若者に対して「仲間」の存在を説いてくれました。
先にも書きましたが、若松さんの活動のベースにあったのは「青年団活動」。何かするときに集まる拠点「煙会所」(えんかいしょ)に人が集い、これからのまちを語らう。そこから出てきたアイデアをカタチにしていくために、動きだす。そして達成する。中には無茶苦茶なこともしたそうですが、その成功は青年達の「自信」につながり、次の活動に繋がっているという。
「昔、まちを創ってきたのは若者。今の若者は、型にはまりすぎていて、地域に飛び出せていない(その関わる方法が分かっていない)」という若松さん。
「これからの時代を創っていくには『若者』がどんどん地域に出て、住民を巻き込んでいかないといけない。そのためには、その『拠点』が不可欠」という。
若松さんは、青年団活動をベースに「仲間」を全国につくり、それは自身の「財産」になっていると言われていた。
まさに、この「仲間」は「仲良しこよし」ではなく「志を共にする仲閒」の存在だ。
現在、愛媛県の青年団は消滅。
青年団という組織は、若松さんの時代において、大切な「仲間作り」の場であり「拠点」でもあった。
今、その組織がない中で、どのように地域と若者が向き合うか、NPOや社会起業など、新たな組織や枠組みの中で、その場づくりが求められている。
いろいろなNPOはあるけれど、「住民(若者)の参加を促進させていくか」の明確なビジョンは掲げられていないのがほとんど。
今後は、「若者など地域の住民をいかにして巻き込むかの視点を持ってNPO運営を行う」ことは大事になってくる(地域で活動する以上、これを明らかにしないとダメでしょう)。
NPOはそういった「若者の受け皿にもなり得る」ということを「自覚」していかないといけないと感じた。
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