“交易”基地としての八幡浜を再定義-菊池勝徳氏インタビュー




かなり前になりますが、「八幡濱みてみん會」代表の菊池勝徳さんにインタビューをさせていただきました。
八幡濱みてみん會さんは、八幡浜市民の有志で街並み案内をしようと平成13年10月に起ち上がった団体。
市民の目線で、八幡浜の歴史・文化などを再発見し、観光客に伝える活動をされています。

八幡浜みてみん會

 
まず、菊池さんの住んでいる地区はどんなところですか?

菊池:日土小学校がある八幡浜市日土町に住んでいます。
   みかんを栽培している地区なのですが、特に、いよかんやせとかはるみ、ニューサマーオレンジといった「晩柑類」の栽培に主に力を入れている地区になります。
   私の家は昔から商売をしている家になります。

浜田:あ、菊池さんの家って、日土東小学校の隣ですね(笑)

 
なぜ、今の活動をされようと思ったのですか?

菊池:自分たちのまちのことを自分たちが知らないし、語れないのは残念なこと。
   それを伝えていくことの必要性を感じたからです。まだまだ八幡浜にはいいろころがあるのに、知られていないところが多いのです。

浜田:僕もそうですけど、まだまだ知らないところが多いです。外から来た人に、菊池さんほど語れないです。
   そういう意味で「知る」って大事ですね。

菊池勝徳さん

八幡浜は昔どのようなまちだったのでしょうか?

菊池:保内地区と八幡浜地区に2つの港があり、海運で栄えたまちです。
   それは、江戸時代から続いているんですよ。
   八幡浜市は伊達藩だったこともあり、儲けるために、港町に商人を育成しようとしたんです。
   穀物栽培や繊維栽培も盛んだったので、ずいぶんと交易の商品として使われたようです。
   それが、昔から「伊予の大阪」と八幡浜が呼ばれるようになった所以になります。

浜田:へ~!そうだったんですか!
   それは知らなかった。海運業が栄えたことが関係しているんですね。

菊池:それに、この時代海から得られる情報は大きかった。
   紡績工場の機械化にもいち早く八幡浜は取り組んでいたそうです。
   港が栄え、繊維産業で儲けた歴史が八幡浜にはあるんですよ。東洋紡績工場があったのもそのことがあったからです。

浜田:ほんと、海の存在ってこの時代は大事だったんですね。

菊池:八幡浜は大阪と九州を結ぶ重要な「中継地点」だったんです。
   海運業者もたくさんありました。
   ライト兄弟よりも早く有人飛行に成功していた、八幡浜の偉人:二宮忠八誕生の父・兄は、実は海運業を営んでいたそうです。
   蒸気船を見たことが影響し、舟のプロペラが飛行機の羽根になると考えたんですね。
   そして、聴診器のゴムの部分が、飛行機の動力となると、考えられるようになった。 それを応用して日本初の有人飛行機を開発したのが忠八だったんです。

浜田:八幡浜は情報がたくさん入ってくる地域だったからこそ、産業が栄えてきた地域ってことですね。
   二宮忠八を産んだと言えるのは、この八幡浜ならではの環境ってことですか。

商売で栄えた八幡浜
 

今、八幡浜はどうなっているのでしょうか?

菊池:どんどん人口が減っています。
   春になると高校生たちが出て行き、帰って来ない(来れない)現状。
   海路から陸路へ。車社会の到来により、昔栄えていた産業の衰退が顕著になってきました。

浜田:モーダルシフト。それは避けられない社会の変化だったんですね。
   その時、八幡浜の人はどうしたんですか?

菊池:儲けた人は、呉服屋に転身したり、九州別府の土地や松山の土地を購入しました。
   打瀬船の歴史は、アメリカからお金を儲けて、学校を作るという目的だった。
   でも、変化についていけない人も多かったのも事実です。

 
では、八幡浜は今後どうすればいいんでしょうか?

菊池:海運から、交易基地になった「八幡浜」。港での交易額トップだった歴史があります。
   交易額をトップに戻すことは難しいにしても、「交易基地」であった歴史は活かすことが大事ではないかと考えます。
   「物」だけでなく、「人」も「交」わるような、場所に八幡浜がなるべきです。
   幸いなことに、八幡浜港が四国唯一の九州航路になっていますよね。

浜田:「交易基地」。八幡浜のまちづくりのキーワードになりそうですね。
   九州別府・臼杵とのフェリーもそうですし、大阪からの高速バスも八幡浜まで来ています。また、JRも八幡浜駅にとまります。
   外部とのつながりは案外あるような気がしますね。

菊池:そうですね。八幡浜はまだまだ恵まれているのかもしれません。
   あとは、八幡浜の中でどう「つなげるか」、「結ぶか」ということですよね。

浜田:やっぱり、八幡浜の「点」で散らばるスポットを、「線」で結び、八幡浜「全体」(立体)としての「魅力」として発信するかが大事になりますよね。
   まだまだ八幡浜には埋もれている資源ってあると思いますし、僕を含めて、市民が知らないといけないですよね。菊池さんがやっている八幡浜みてみん會の活動は、そういう意味で八幡浜の「線」となる活動のような気がします。

菊池:そうですね。
   住んでいるまちが寂しくなるのはいけないし、みなさんに足下や隣にある八幡浜の魅力を気づいて欲しいと願います。私は、そのために地道に八幡浜みてみん會の活動を続けていくつもりです。

浜田:ありがとうございました。

 
「交易基地」としての八幡浜。
海運で栄え情報が集まってきた八幡浜の歴史を考えると、この土地のポテンシャルはまだまだ高いと思う。
「交易基地」としての八幡浜を再定義して、新たな時代の「交易基地 八幡浜」の存在を外部に示していかないといけないと感じた。
それが「人」なのか「物」なのか「サービス」なのかは分からないが、臨海部の整備が進んでいる今こそ、「港」からのまちづくりに立ち返ってみるのも必要かもしれない。
二宮忠八が誕生したように、人や情報が交わる八幡浜から地域や社会を変える素敵アイデアが生まれることを期待したい。

   







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ABOUTこの記事をかいた人

浜田 規史

愛媛県八幡浜市生まれ。山口大学卒。 高校時代に商店街活性化を目的にしたお店「AKIND」(あきんど)を開店したことがきっかけで、地元が大好きになる。 大学卒業後、帰郷し地域金融機関に勤める傍ら、八幡浜を元気にすることを目的にした「NPO法人八幡浜元気プロジェクト」の代表、ローカルWEBメディア「KITONARU」編集長などを務める。